2013年11月10日日曜日

堀江貴文『ゼロ』 レビュー

「自分の頭で考える」

「失敗なんて大したことじゃない」

「好きなことに没頭しろ」

「とにかく働こう」

「努力」

「お金のために働くのではない」

「大事なのは金ではなく、信用」



ホリエモンこと、堀江貴文さんの新刊『ゼロ』を一気に読んだ後、パッと思い出したキーワード。

こうやって少し書き出してみると、もう少しマシなワードをピックアップできなかったのか?と自らを残念に思う気持ちに苛まることも否めません。
実際、私のところに届く、ブックレビューのメルマガで本著が取り上げられた際には、もっと興味を惹きつけられるようなキーワード、キーセンテンスがピックアップされていましたし、現実、私はそれに少なからず影響を受けて本著を手に取ったわけなので、やはりそういったメルマガを発行するような人は、ピックアップが上手いんだなあと感心します。

しかしながら、他者の興味をそそるようなキーワードのピックアップはできていなくても、本著に書いてあった内容をある程度示すという意味では、上掲のワードもそれほど不適切なものでもないはずです。

何かの本で、どこかで、何度も、見たような言葉。

本著が伝えようとしていることは、結局のところ、他の本に書かれていることと本質的には変わりません。

しかし、私は、ネガティブな意味でこのようなことを書いているわけではありません。

「やはりそうか。」

そう思うだけです。


異端児として、どんなに世間を騒がせようが、

どんなにメディアに吊るし上げられようが、

凡人とは違う、天才の考えることは違うと、羨望の目で見られ、あるいは畏怖されようが、

結局は、堀江さんが出したあらゆる結果には(ポジティブなものもネガティブなものも)、それに相応する原因・理由があっただけのこと。

彼が、他人と、世間と異なるルールの中にいるわけではないということ。

彼にできたことは、誰にでもできること。
彼のようにやれば。
彼がしてきたことと同じだけのことをやれば。


彼は普通の人間である。
多くの人がやろうとしないことをしてきただけである。
そういう人を普通の人間とは呼ばないとも言えるのかもしれないが、他の人と違う世界で、異なるルールの中に生きているわけではない。
そして、彼のように動くことを、本当の意味で禁じられているわけでもない。
ならば、彼は普通の人間である。

彼の羨む理由も、妬む理由もない。
羨ましいなら、妬ましいなら、同じようにすればいいだけだからだ。
同じだけのことをすれば、同じようになるのだから。

私は、堀江さんはものすごい人だと思うし、会ったこともないけれど尊敬に値する人だと思っています。
けれど、堀江さんが嫌いな人も沢山いるだろうし、もちろん私がその人達に異を唱えるつもりもありません。
私だって、じゃあ堀江さんのように生きたいのか、同じことをしようと思うのか、堀江さんのように生きることが自分にとっても幸せになり得るのかと問われれば、すぐさま首を縦に振ることなどできやしません。

世の中は理不尽で、思うようにはいかないことばかりだけれど、
結果にはやっぱり理由があって、
理不尽にさえも理由があって、
その理由を充たせば結果が出て、
その結果を嫌うならその理由を満たさなければいい。
理由を充したくても充たせないのなら、それにも理由があって。

堀江さんの言う、「なんでもできる」という「自信」。
その「自信」を持つということは、こういうことを理解することなのだろうか。

読み終わった後、そんなことを考える珠玉の一冊でした。
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